枚挙に暇がない

自分の脳内を形にしたい

取材記事あとがき

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THEKEBABS取材記事公開が無事終わった。

https://momononouta.hatenablog.com/entry/2020/10/02/181950

直しは何度か入れていたが、本文を書いていたのが3月の事だったので、忘れていることも多く、備忘録的なあとがきを書いてみようと思う。

改めまして。THE KEBABSメンバー・スタッフ方、取材記事をお読みいただいた方、ありがとうございました。

 自分のような一般人でも参加することができた本取材企画。他のインタビュアーの事を一切知らないブラインド状態で、企画に参加していたのだが、今思い返すと錚々たる顔ぶれの中に名を連ねることが出来たことは幸甚の至りである。他インタビュアーの記事が公開されるたび、心を躍らせていた半年前が懐かしい。

 他の参加者にもいると思うのだが、字数の関係で公開した記事9900字余りに収まりきらなかったエピソードがいくつかあり、対面インタビューならではのこぼれ話も頂戴したのが、それらの話を胸三寸に納めているのが非常に勿体なく感じている。どこかで回収されると非常に嬉しいのだが…

 

 今回、自分の記事を通してたくさんの音楽ユーザーの反応が知れて本当に良かったと思う。自分のルーツ的に音楽ユーザーのコミュニティの門戸をなかなか叩く事ができず、ライブ体験を自己完結してきたので、THEKEBABSお二人の話や記事への反応を通して、音楽ライブで感じていたモヤモヤを自分なりに昇華する機会になった。

 ライブハウスに友達ときてる人とか、ライブハウスに行けば馴染みの人に声かけるみたいな世界線に生きたい人生だったが、いかんせん圧倒的に会話力が足りてないので、来世に期待するしかない。これからも私は一人で気ままにライブを楽しむ事にする。

 

 取材記事序文に書いたのだが、自分達の世代はとにかく便利な時代でたくさんの物に溢れていて、趣味嗜好も多様化し、他の人と時間を共有することが少なくなった個人分断の時代だと思っている。

 そんな中で、CDの売り上げが低迷する中、ライブの公演数や集客が伸びている音楽業界。自分はそんな音楽ライブの事を話し言葉の文化と同様に、音楽をきっかけに同じ時間と空間を共有することのよって、人々が結びつく現代の文化形態の一つ」だと考えている。

 自分は言葉を交わすのが苦手なので、ライブ体験特有の「言葉を交わさなくても生まれる一体感」というのが好きだ。その中でもライブハウスという箱でのライブ体験には独特の魔法がある。

(ただ、よく現代の音楽シーンにおいて論じられている一体感至上主義に関しては思うことがあるので、ステージも一緒になって「イェー!」みたいなのは好きじゃないという矛盾)

 

 元々の自分のルーツ的に足を運びやすかったのは、フェスや大きいホールのようにアーキテクスチャが洗練された環境だが、「音楽を純粋に楽しむ」という事を考えた時にライブハウスでの音楽体験とフェスや大きい会場での音楽体験は地繋ぎではないと昨今思うようになった。(どちらも魅力的だけれど)

 あの小さな環境だからこそ、肌で感じられること、目に留まる事があるし、今は世の趨勢を見守るしかないが、いつかまた足を運びたいし、いつまでもなくならないでほしい場所の一つだ。

 

 これはまったくの余談だが、自分は、演劇は「見る」物で音楽ライブは「体験する」物だと思っている。今まで無意識に使い分けていたが、

今回の取材記事作成にあたり、ライブ独特の作法についてそのルーツを辿るため、とりあえず社会学系の本にいくつか目を通してみた。

 昔にさかのぼると、音楽ライブもまた一般的なコンサートのように「見る物」であったそうだ。60年強の長い時間をかけて、様々な文化の変化と共にライブ音楽もまた、今の形式へと変化してきた。モッシュ・ダイブを始めとした、様々なライブ作法はこうしたユーザーの認識の変化や大型の音楽イベント・ライブハウスの登場により定着してきたようだ。

 ヘビーな音楽ユーザーからは鼻で笑われてしまいそうで恥ずかしいが、今日日のライブハウスでの体験がそうした歴史の積み重ねによって生まれていることを自分はまったく知らなかったのである。これは自分にとって大発見だった。歴史を知っているのと知らないのとでは、今の時代の音楽へのとらえ方もきっと変わってくるだろう。

 音楽ユーザーとして、提供される音楽に盲目的になったり受け身になる事は作品にも作り手にもよくない気がしてきていたので、自分の中で考えるきっかけができて本当に良かった。圧倒的に読解力も語彙力も足りてないが、これからもロックバンドを楽しむぞ。

 

 先月、9月19日からイベントの開催制限緩和が始まり、映画館などの声を発しない場では減席を取りやめ、全席開放が始まるなど、段階的に日常に戻りつつある動きがある。

 今月自分の好きなバンドのツアーが始まったが、「歓声無し、拍手OK、椅子に座ったままロックバンドを鑑賞する(※アコースティック形態ではない)」という今の時期に合わせた特殊な物だった。音楽ライブ会場独特の「ごちゃごちゃした雰囲気」が苦手な人には逆に今が会場へ踏み出すチャンスなのかもしれない。正直、自分のルーツ的にはこっちのほうが性に合っていたりする。
 一時期はイベント事への世間の風当たりが強く、「その場に赴くこと自体が悪」とされていたような声もあったが、行くも最良行かぬも最良。行く人は周囲に迷惑をかけず厳格なルールの下で楽しく見届けること、行かぬ人は次見れるまで楽しく生き延びること。どっちを選んでもできる限り今の時代を楽しんだほうが未来のためにもきっと良い気がする。

 

 寒くなると気が滅入って仕方がないが、次の楽しみをまた気ままに見つけるぞ。

 このブログも見切り発車で始めたが、のんべんだらりと続けていこうと思う。

 それでは、お元気で。

 

かしこ

 

 2020年10月20日投稿

 

 

- THE KEBABS対面インタビュー

※本記事は2020年3月10日にTHE KEBABSに対面インタビューを実践躬行したものです。

 

お初にお目にかかります。あさのぐると申します。自分の人となりは、もしよろしければ他のブログ記事をお目通し頂けますと幸いです。
この度、ご縁がありまして、THE KEBABSの佐々木亮介さん(ボーカル・ギター)、田淵智也さん(ベース・コーラス・ボーカル)に対面インタビューを決行いたしました。メンバーの皆様、スタッフの皆様、お話をいただきましてありがとうございました。

 

導入

 

 感染症流行の中で、自分の生活様式は大きく変化した。仕事では薄いフィルム越しで意思疎通を図る事に難しさを感じる。私生活では楽しみにしていた音楽ライブを含むイベント事がほとんどなくなり、近場の友人と遊ぶにしても時期と場所に気を使ったりと、オリが沈殿するように心の奥底でフラストレーションがたまっている気がする。

 自分は音楽ライブの事を、話し言葉の文化と同様に、音楽をきっかけに同じ時間と空間を共有することのよって、人々が結びつく現代の文化形態の一つなのだと思っている。
 元々、自分達の世代は、特定のなにかを見て人と時間を共有することが極端に少なくなった。メディア文化が多種多様化し、個人が分断されたのだと思う。その一方音楽業界ではCDの売り上げが少なくなってきた中で、ライブの公演数や集客が伸びているのが昨年までの流れだった。この流れがひっくり返った今年、無観客ライブの配信が主要になり各種ネットサービスの安定化が急速に進んだ気がする。ネットでの個人聴衆は時間や居住空間を超えての共有を可能にし、様々な理由でライブハウスに赴けない音楽ユーザーも参加することができる最高の形態だと思う。でも、「生の体験に勝るものは無い」というユーザーもいるとは思うし、かくいう自分もそちら側の人間だ。

 ただ、最初からライブハウスで聴く音楽が好きだったかと言うと、かつての自分は、音楽自体は好きだったが、CDを一人で聴くのを好んでいたし、音楽ライブやライブハウスはアングラ文化で怖い物だと認識しており足を運んだことはなかった。しかし、高校三年生の秋にとあるライブレコーディングアルバムに出会ったのをきっかけにライブハウスに赴くようになる。それからというもの、ライブレコーディングという手法が気になり、ナタリーや音楽雑誌を辿ってみたのだが、なかなか作品が見つからず、それが「日本の音楽シーンでは珍しい収録形態である」という事がわかった。

 話は少し飛んで、あれから数年。かねてより動向を気にしていたTHE KEBABSがメジャーデビューアルバムとして「ライブレコーディング盤をリリースする」と知って驚いた。
 自分は音楽についてはど素人だ。でも、漠然とだが彼らの音楽にはルールもコンプライアンスもない純粋にロックンロールを楽しむ姿勢が感じられる。そんな彼らが「ライブでデカい音を鳴らしそれをパッケージングする」事にとても惹かれた。それと同時に高校三年生の秋の事を思い出した。

 ライブ盤はどうして日本の音楽シーンにおいて珍しいと言われているのか。そして彼らはなぜそんなライブ盤をデビューアルバムに選んだのか。ただ、彼らの音楽を「楽しむ」だけで終わりたくないぞと、今回インタビュー企画に応募してみた。

今から彼らの音楽の裏側をのぞいてみたいと思う。

 

本編

 

――――――ライブ盤が発売して少し経ちました。圧巻の演奏だけでなく、お客さんの歓声であったり、パフォーマンス中に生まれたマイクの音の乱れであったり、たくさんの情報を汲み取れるアルバムだと感じました。ライブ盤なので、アルバム一本まるっとヘッドホンで聴くのを個人的に推奨したいのですが、サブスクや個別ダウンロード派の方もいるので、オススメの聴き方があればお聞きしたいです。

 

佐々木 今回、ライブレコーディング盤(全国流通盤)とスタジオレコーディング盤(ライブ会場/通販限定販売)を同じ曲順で出したら面白いのではと、田淵さんが言ってくれて。この楽しみ方をしてほしいって言うのは無いっちゃ無いけど、フラッドでも流れは考えて作っているポイントだから。狙いがあって曲順を作っているという事はわかってもらえるとめちゃくちゃ嬉しい。

田淵 収録順に聴いてくださいという事をSNSやラジオでただ言ったって、時代にあっていなければ聴かないと思うんですよね。アルバム1枚買えないから、一曲だけ買うって言うのが時代に合っているなら、時代にあっているものに対してただ「収録順に聴いてください」って命令するのは効果がないと思っているし、あんまり面白くないと思っていて。でも、ライブやCDアルバムを曲順で聴いた時におこるマジックというのを俺たちは信じているから。時代に反しているものを作っていても、じゃあどうすればこちらの意図通りに聞いてくれるのかというと仕向けたいと思っていて。何かプラスの形で行動しないと何も変わっていかないと思う。
 例えば違法ダウンロード反対みたいなものに対してただ禁止して終わりというわけじゃなく、しないようで済むようプラスに行動するように仕向けるのも我々の役目かなと思っていて。だから、ライブアルバムを作りました、実際のライブレコーディングと同じ曲順ですってなった時に順番通りに聴く人が増えるとしたらプラスのアプローチができたのだろうと思うから。そういうのを完全に狙っていたわけじゃないけど、ライブアルバムってそういう事だから。最初から最後まで曲順通りに聴くと良い事があるよって。

――――――なるほどです。ありがとうございます。

 

――――――あさのの応募動機について


田淵 応募動機が「なぜライブアルバムはないのか」みたいな。
――――――そうですね。
田淵 ライブを好きになるきっかけがあったんですよね


――――――高校生くらいまで、自分の中で音楽ライブはアングラ文化で怖いものという認識があって。母方の祖母が人形浄瑠璃をしている家系なので、小さい時からそういう古典芸能には触れる機会があったんですが、音楽ライブってクラシックのコンサートくらいしか触れた事がなくて。そんな時に聴いたのがMONOBRIGHT(2007年-2017年)の「新造ライヴレーションズ(2012年)」というライブレコーディングアルバムで。ライブレコーディングという技法が世の中にあるのか!という驚きとライブって面白そうだなと興味が湧いて。


田淵 うわー!良い話だ。


――――――とにかくその体験が衝撃的で。ナタリーや音楽雑誌を漁ったんですけど、「ライブアルバムというのは日本の音楽シーンにおいて少ない」というのを目にして。とても疑問に思ったんですが、それは解決せぬまま8年という時が経ちまして、今に至ります。

 

佐々木 たまに「ライブ盤も良いけど、ちゃんとしたスタジオ盤も聴きたい」って意見があって。あ、スタジオ盤の事を「ちゃんとしたモノ」だと思っているんだなと。

一同 (笑)

佐々木 いや、わかるけど。俺らは一つの正解だと思ってライブレコーディング盤という形で出してるし。スタジオレコーディング盤も一つの正解だけど、どっちがちゃんとしているってわけじゃなくて。俺たちのやっている音楽の見える角度を変えているだけでやっている事は一緒だから。
大多数の人がスタジオ録音したものをずっと聴いていて、一つの音楽の録音方法がその人の聴き方に固定されているのかもしれない。それ自体は否定しないけど、ライブ盤の面白い聴き方がもっとあるんじゃないかな。

 ライブ盤は録音している時に異常に緊張感があって。その逆でスタジオでで録音をするときはその緊張がないんですよ。直せる前提で録音をするから。ライブ盤はその緊張感を楽しんでいるし、本当はその緊張感とか、その場でしか起きない事がライブでの音楽なのに。曲を確認しにライブにくるだけだとその場で起こることに対して期待していないというか。田淵さんがライブレコーディングアルバムでいこうって言い出した時に俺が一番ワクワクしたのは、それで。録音の仕方とか、リリースの仕方に正解はないんだなって。

 

田淵 あさのさんがそのライブアルバムを聴いて、ライブというものが楽しいと思ったと言う事は、スタジオ盤で聴いた上では感じなかった音楽の楽しさとか違いが見つかったって事ですか?

――――――その時のライブアルバムにはコールアンドレスポンスとかもあって。ライブって声上げるのか!って。そもそもライブ上でのお約束みたいなものがあるってこともそれまで知らなかったですし。その未知との遭遇がすごい良いなと思っちゃったんですよね。


佐々木 声を上げない人形浄瑠璃がベーシックにあるからね
田淵 へー!おもしろい、声をあげないのがデフォルトなのか!
佐々木 歌舞伎とは違いますからね
田淵 ギャップがあるなあ。それでライブには行ったんですか?


――――――大学入る手前にライブハウスに行って。フォーマンくらいだったんですけど。出演者1組しかわからない、予習してないわけわかんない状況で人混みに揉まれて。でも、その時のライブは特別でしたね。そのあと、大学入って演劇しながらライブハウスに通ってました。ユニゾンも大学生の時、初めて拝見しました。


田淵 なぬ!それもフォーマンくらいの?
――――――ではなくて。大学祭でのツーマンだったんですけど。その時まで、ライブには決まりがあるのだって思いこんでたんですけど、前の男の子二人が所謂地蔵になってて。でも、めちゃ楽しそうで。地蔵でもお約束とかしてなくても楽しく見て良いんだと思いました。


佐々木 サビで手をあげるみたいなね
――――――そうです!それです!
田淵 さっきのコールアンドレスポンスってやらなきゃいけないと思ってライブに行ってましたか?
――――――当時はめちゃ思ってましたね。
田淵 ほらー。よくないところだよーロックバンドの
――――――あと、ルールとかよくわかってなかったので、変なタイミングで反応してしまう事に対して恥ずかしさを感じてしました。
田淵 うん、あるよねー。


佐々木 俺がもし演奏してたとして、全然 Aメロの意味わからないところで手をあげてくれる子がいたら、最高にぶちあがりますよ。
田淵 俺は指差して笑うかもな
佐々木 確かに、曲が高まったタイミングでみんなの手が上がるのも良いんだけど。俺はライブに行く時、自分が高まったタイミングで手をあげちゃうから。だから、舞台上でそれ見たら、嬉しくなると思う。今のAメロ最高だったでしょ!?みたいな。
――――――なんだか、救われました。これからはライブ見る時、己に従います!


田淵 やっぱりあれなのかな、全然違うところでアクションを起こす事に対して、「あなた違うでしょ」って空気になるのが怖いみたいなことはあるんすか
――――――めっちゃあります。
田淵 これ、たぶん今読んでて、共感する人いるだろうなあと思う


佐々木 僕らは古典芸能に触れてないですけど、自分たちの20歳くらいまでの人生の中で、人生そのものにお約束ごとがあり過ぎると思って音楽を始めている節はあると思うので。決まりがあるのを面白く思う人もいるだろうけど、そういう意味ではお約束がないほうがライブは面白くなるかもしれない。


田淵 お約束ごとに揉まれて、ライブというものを思い込まなくて良かったね
佐々木 確かに
田淵 一回行ったら思い込んじゃうじゃんねー。自分に合わなかったら、行かなくなる気がするもん。ライブってみんなで同じことやらなきゃいけないのかー。じゃあ、家で音楽聴こうかって。そういう人もいそうな気がするけどね。

――――――ほんとですね。面白い話をありがとうございます。

 

――――――先ほども触れたのですが、ライブ盤に触れたのは人生で二度目です。初めて聴いたアルバムではコールアンドレスや手拍子などライブの「お約束ごと」を別録音し、ミックスされていました。今回のTHE KEBABSのアルバムでもいくつかお客さんのコールや歓声が収録されていましたが、オーディエンスからの自発的な投げかけだったのでしょうか。

 

佐々木 うん。お客さんは曲を知らないからこその奇声を発したりとか、どこで声をあげていいかわかんないからこそ、自分が高まった時に声をあげている気がして。だから、音源の彼ら彼女らの歓声は全部本物で。そこで盛り上がるのか!みたいな事がいくつかあって、俺もその場で反応しちゃうから、歌のリズムが変わったりその場のノリで歌詞が変わったりとかしていたし。THE KEBABSがスタジオ音源をまだ世に出していない状態で録音したから、何かを再現したわけではなくて、その新鮮さとかフレッシュさは俺らもお客さんも感じた事なかったと思うから。あの瞬間の予習ゼロの人達と「曲知らないけど最高に楽しんでやるぜ」って気概のある人達とやれたことはこんなに良いことなくて。一緒にお客さんと楽しみたいと思っているから、ライブレコーディングのあの瞬間はみんな積極的でその気持ちが爆発してたと思う。
 俺は基本、受動的なことをつまらないと思っていて、能動的である時間が最高だと思っている。普段のライブもそのバランスが難しくて。みんなお金を払って楽しみに来てくれて、とてもありがたいことなんだけど、知っているものを提供して欲しくないって思っている子もいれば、ここで踊ったりしたら良いんだよってガイドを欲しがる子もいる。それは俺にとって受動的なことだと思っていて。

 よくわかんないからガイドが欲しいってのはわかるけど、俺はよくわかんないことも含めて楽しみたいと思っているから。だからこそ、今回のライブ録音の時になにが起こるか俺らもオーディエンスも未知な状態だったけど、でも楽しんでやろうって純粋にオーディエンスが反応してくれた事がすごい美しい事だと感じた。


田淵 いつの間にやらライブって音源で予習してきた事を確認しにくる場所っていう認識が強くなってきた気がしていて、予習してみんなと同じことしないと楽しめないのかもっていう風に、世の中の空気がそうさせてきたんじゃないかなって思う事がある。曲的に盛り上がるのがライブの正解みたいな、そういうお決まり事みたいな事に対して、たぶん僕も佐々木もいまいちピンときてなくて。
ロックバンドをライブで見るって曲知らなくても面白いもんは面白いし、でもそういう体験をみんなもうできないんだろうなとも思っていて。
俺、この間シークレットでとあるライブに出たんだけど、俺らは淡々と曲やるだけだからやっぱり客は40分間くらい何をしたらいいかわからないって状態になってて。俺はその反応が超面白かったんだけど。多分その中に目には盛り上がってなくても「なんじゃこりゃ」って感動したやつが、きっといるんですよ。ライブってそれでいいじゃんって。けどそれとは別の話で、目の前で超かっこいいバンドがでかい音を出しているって状態に対して、かっこいいってなったときについ体が動く、声を出すって体験はたぶん若い子たちがほぼ知らないんだろうなと思っていて。それが今の流行なら別にいいんだけど。でも誰とも違うアクションしている人がいるみたいな状態がロックバンドやライブハウスにはあって欲しいなと思っていて。ライブとはこういうものだって行ききってしまったAの世界線に対して、反対方向のBの方法もあったじゃないってもし今回のライブ盤で提案できていたならば、誰か一人のロックファンを救えたかもしれない。
 自分もライブハウスによく行くけど、良いバンドだなって思ってチケット取って行く時も全部予習しなきゃ楽しめないとは思っていなくて。知らないで見たバンドが楽しくて良いなと思ったこともあるし。ライブハウスってそんなに堅苦しいものじゃないんだなと思ってくれるやつが出てきてくれたらそれも良いなと思っている。

――――――なるほどです。ありがとうございます。

 

 

――――――今回のライブ盤、初回限定盤のBonus Discの「THE KEBABSのテーマ」の編集がとても気になりました。あれは収録音源決定時からあった仕掛けなんでしょうか。

 


田淵 イカしたフェードミックスの話だね
――――――あれって、ただのクロスフェードじゃなくて、途中でいろんな音が混ざってデモ音源からライブ音源に切り替わるじゃないですか。個人的にあれはなんじゃこりゃポイントでした


佐々木 はは。大正解。
田淵 あれは目的がちゃんとあって。THE KEBABSはデモ音源を二枚出してるんだけど、それの再販をもうしないので、ライブ盤とすでにMVがネットに上がっている曲を併せて全曲網羅できるようにライブ盤の収録曲を決めた。ボーナストラックはデモ音源とアンコール分のライブ音源も合わせて収録することになったんだけど、一つの案としてserial TV drama(2004-2012年)の「まばゆい」のカバーを入れたいというのがあって。これはCD買わないと聴けないぞという。
一同 ははは


田淵 サブスク派は聴けないぞとね。曲順を決めたときにデモ音源二曲のあと、ライブ音源に音が変わるタイミングがあって。じゃあ、「THE KEBABSのテーマ」の一曲の中でデモ音源からだんだんライブ音源に変わるのはどうだろうと会議で決まった気がする。
佐々木 デモ音源がスタジオ録音だから、トラック変わって突然ライブ音源に変わってしまうと空気が繋がらないしね。
田淵 うん


佐々木 田淵さんてDJめちゃめちゃ向いてると思っていて。曲の流れとか空気がどうやったら繋がって、どうやったらかっこいいかとか想像して決めているんだなってわかる。デモ音源からライブ音源に繋げるアイデアもそうなんだけど、どうやったらスムーズに繋げられるかってセンスに長けていると思っていて。これはその現れだと思います。ボーナストラックの決まった枠の中でそれを最大限に活かすってなった時にその流れを思いつくとは俺は思わなかったから。結構びっくりして。
田淵 確かに、気付いたらライブ音源になってたらウケるねって出した気もする


佐々木 CDでしか聴けないけど、単純に「まばゆい」が面白くて良い曲だからこそ今回入れたわけで。その出揃った枠の中でどんな風に曲を繋げば面白いか考えてるからこそ出てくるアイデアだから、すごいんですよ、絶対 DJ向いてると思う。
田淵 はははは
佐々木 なんか0から1を出す才能があるくせに、もうあるものを組み合わせて新しいものを作れる才能もある人なんだと思う。それはすでにある物とか先人のものに対して謙虚にリスペクトを持っているということで。魅せ直す事ができるってすげえかっこいい事だと思うんですよね。
田淵 これは新井くん(※新井 弘毅:ギター・コーラス)技術的なアイデア勝ちだと思う。どうやったら音源的にスムーズなミックスになるか俺は全然そこのアイデアなかったから。新井くんはそこが長けているからどのエフェクターを使えば良いかとかたくさん提案してくれるし。


佐々木 ミックスの時は新井さんが「もっといっちゃお!」ってガンガン進めてくれて、楽しい時間でしたね。
田淵 曲がどんどん化けて行くから。そう、そう。最後にこぼれ話が一つあって。
気付いたらライブ音源になる編集を1サビのタイミングでやるってアイデアまでは出たけど、そのあとの展開としてサビになった瞬間歓声を足そうってアイデアが出てやってみたの。プライムゴール(スーパーファミコンサッカーゲーム)の歓声みたいなやつ。
佐々木 それだ
田淵 入れてみたら超ダサくて。でも、有か無か意見が割れたよね。本当はどっちでもよかったんだけど、結果的に入れないってなった。内輪ウケになりそうだからやめようと。
佐々木 THE KEBABSはそこの線引きが難しいところですよね
田淵 あれ世にだしてえなあ
佐々木 「THE KEBABSのテーマ~Jリーグバージョン~」ですね
――――――うわあ。それ、めちゃ聴きたいです。

 

最後に気になるあの子について聞いてみた。


――――――ライブ盤とまったく関係ないのですが。THE KEBABSのマスコットキャラクターはたぶんパンダだと思うんですが、なぜですか?

田淵 そうだよって言おうとしたけど、そうじゃないんだよ!
佐々木 ケバブくんみたいなやつがいるんだよ
――――――そうですよね。すみません。でも、個人的になんでパンダが出てきたんかなって疑問がありまして


田淵 名古屋で最初のワンマン(2019年8月THE KEBABS 進撃 ~愛知"初"上陸作戦~)やった時、前日に俺、和歌山に行ってて。そこで買ったんだよ。立ち寄った店にたまたまパンダが置いてあって。明日THE KEBABSのライブだから買っていくかってなって。これがステージ上にあったら!楽屋も盛り上がるかなって。
佐々木 あの時、めちゃくちゃ楽屋で盛り上がっちゃったんだよな
田淵 だから、それで買って行ったのが最初。それ以上でも以下でもない。そこから調子こいてちょこちょこ出すようになった。
佐々木 まさか実物大になるまで思わなかったけど

 

↑デビューアルバムのOP的曲にもなっているオーロラソースのMV。等身大のパンダが登場する。

 

田淵 何にも関係ないし、これからもメインキャラクターにする気もないんだけど。


――――――なるほど。そこで気になるのは、パンダの歌を今後作られる予定はございますか?
田淵 客が思いついてる時点でやらないな
――――――しまった!言わなきゃよかったです


田淵 でも、あのパンダは声をまねっこしてくれるから、何かに使えないかなって思っているよ。俺、バンドのグッズの紹介MCするの嫌いなの。あれをパンダにやらせれば良いんじゃないかと思ってて。
佐々木 自分も喋ることになりますけどね
田淵 あ、そっか。あれ、事前録音はできないもんね。じゃあ、やめよう
佐々木 その煩しさも可愛いんですけどね
田淵 でも、買ったからには部屋のインテリアとして錆びていくのは悲しいから。一応、THE KEBABSのライブがあれば持ち出してあげて、写真とか撮ってあげてる。
佐々木 ジップロックに入れてますよね。あれウケるんだよな
――――――ジップロックに入れてるんですか!?


田淵 うん。家でもジップロックに入れてる。俺、本当に物汚す癖があって。小学校の時も俺だけランドセルの中身真っ黒だったんだよな。
佐々木 なんですか、そのエピソード(笑)
田淵 工夫すれば被害が防げるって知ったからね
佐々木 そういえば、あれ、和歌山で生産してるみたいですね
田淵 まじで!?ジップロック!?
佐々木 …いや、パンダちゃんの方です。

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インタビューを終えて

 これにて取材文は終わりです。
「ライブレコーディング盤がなぜ日本の音楽シーンにおいて少ないと言われるのか?」という疑問はきちんと解決することはできなかったが、彼らの音楽の裏側は覗けたと思う。音では拾えない部分、制作過程や音楽を取り巻く世の中の流れなどを直に聞けたので、今までとは違う視点を持ってこれからも彼らの音楽を楽しめると思うと、わくわくしてくる。今回の記事でその魅力がどこまで伝わっているかが、不安だが、この感興を分かち合えると嬉しい。ロックバンドはどこを取っても魅力的だ。


 半年前の取材にはなりますが、佐々木さん田淵さん、お二人とも言葉の選び方が巧みで、取材中はずっとリードして頂きました。一般人の自分がこうして記事を書かせていただけたことは、取材にお答えいただいたお二人とスタッフさんのサポートがあったおかげです。本当にお世話になりました。取材終わりに「良い記事になるよ!」と言っていただけたことが忘れられません。時間はたちましたが、一つの形にできて良かったです。ありがとうございました。

 

たぶんみなさん重々ご承知だと思いますが、「イカした人達」でした。今後の彼らの活動にも期待です。とりあえずライブ録音盤とスタジオ録音盤をもう一度聴きくらべようと思います。ちなみに「THE KEBABSは忙しい」がお気に入りです。自分は全くもって疎いのですが、サブスクリプション配信もあるそうです。オススメです。

 昨今、大変な状況が続きますが、薄紙をはぐように良くなると思います。音楽が好きなすべてのみなさん、また元気にライブハウスでお会いしましょう。

 

かしこ

 

2020年10月2日 投稿

 

10月20日あとがきになりきれないものを書いた→

 

 

好きだったバンドの話

 

 

  中学2年生の時、私は「monobright」に出会った。その頃の私は、テレビと漫画好きをこじらせていた。学校を転校して、新しい環境にどこか馴染めない、ぎこちなさを感じていた。誰かと誰かが、誰かを評価し、値ふみする。そこは薄暗く、どんよりと重たい空間だった。家に帰ると、その息苦しい時間を無かった事にするために私は逃避に走った。その結果、小さいときからあった、テレビと漫画好きを悪化させてしまったのである。


 そんな逃避中に見た音楽番組に一組、聴き覚えのある曲を歌うバンドがいた。それが「monobright」だった。演奏している曲は、アニメ銀魂の主題歌にもなった「アナタMAGIC」。とび跳ねながら踊れそうな軽快でポップな音と癖のある歌い方が印象的だった。ブラウン管ごしに彼らをじーっと見る。白いポロシャツに黒スキニーに黒ぶちメガネ…謎の優等生スタイル。音と一緒にはじける彼らの動き。見ているこちらまで気持が乗ってきた。ボーカル桃野陽介の動きが気になる。じわりじわりと滲み出る、必死そうな顔。そして、何というか時々見せる変顔とクネクネした動きがツボにハマった。…昔で言う戸川純の再来か。なんだ、この奇人は。馬鹿にするのではなく、純粋に笑いが込み上げてきた。あんなに憂鬱だった中学の世界など狭い狭い。世の中は広いのだと、まるで魔法にかけられたみたいに気分が明るくなった。以来、私は彼らのファンを自称している。今年で、5年目(※2013年当時)だ。


 5年もファンをやっていると、変化に敏感になってくる。特に彼らはビジュアル的にも曲調的にも移り変わりが激しい。彼らの活動は、大きく4つに分類される。

 インディーズからデビュー初期の白ポロシャツ時代。白ポロシャツを脱ぎセカンドシーズンと声明した脱皮時代。

 脱皮時代に発売したセカンドアルバムをプロデュースした経緯から、元「BEATCRU SADERS」の日高央が電撃加入した結婚時代。この時代に小文字から今の大文字の「MONOBRIGHT」に改名した。

 日高央が脱退し、元の白ポロシャツ4人組に戻った現在。

 一般的には、白ポロシャツ時代から脱皮時代にかけて彼らの持ち味である音楽「捻くれロック・ポップミュージック」が完成したと言われている。彼らの全盛期だ。それに続く結婚時代。日高央加入後、発表されたミニアルバムでは、今までの捻くれたポップさは薄れ、洋楽のオマージュを得意とする日高央の作風が色濃く出ていた。路線変更と言われたこの時代は、多くのファンが彼らから遠のいた。確かに全盛期のポップさは、時々顔を出す程度になってしまった。しかし、結婚時代にリリースされた3枚のアルバムでは、意外性・音楽的広がり・ライブの温度を完全パッケージと異なるコンセプトで、各々のテイストの傑作を仕上げたりなど、彼らの新しい一面を見ることができた。特にこの時代の集大成といえるであろう、完全新作ライブレコーディングアルバム、「新造ライヴレーションズ」では、彼らの進化したボーカル力・演奏力などを知ることができた。自分がライブに足を運ぶきっかけになったのはこのアルバムがきっかけである。
 しかし、そんな彼らにどこかで物足りなさを感じていた。曲調を壊して更新を繰り返す彼らは次はどこに行くのだろう。不安はあるが、期待もあった。


 10月30日水曜日、午後7時。私は大阪心斎橋のライブハウスにきていた。大学に入って彼らのライブに行き始め、今回で3回目。初のワンマンライブだ。チケット完売ということもあり、会場内は約3百人のファン達でぎゅうぎゅうだった。前後左右、どこを見ても彼らのライブTシャツ着た人達。中には、本当に初期の頃のTシャツを着た人達がいた。「彼らを好きな人」しかいない。「歴史」をひしひしと感じる。


「おはようございます!MONOBRIGHTです!」


 ボーカル桃野陽介の恒例と言える挨拶とギターの「ジャジャコーン!」という音を合図に深いロイヤルブルー色の舞台照明が色鮮やかな虹色に変化した。光の線がスゥーっと伸びる。彼らのトレードマークである、白ポロシャツが浮かび上がり歓声が響いた。ドラム瀧谷翼の音を合図に演奏が始まる。冒頭の不揃いなドラムのリズムと畳みかけるようなサビへのギターフレーズが中毒性を誘う「頭の中のSOS」。ゆったりと、でも自然にリズムに乗れる楽曲だ。
 続いて、インディーズ時代の曲から「R+C」。今までのライブで初期曲の演奏を聴いたことが無かったから、度肝を抜かれた気分だ。二曲の演奏を終え、MCに入った桃野陽介の衝撃的発言。


 「来週発売の新しいアルバム、MONOBRIGHT three全部ここで聴いて行ってもらいます!」


開始15分。すでに汗ダラダラな彼は、自信満々にそう言った。ぜ、全曲ですか!3曲しか知らないけど、大丈夫ですか! 「ヒュー」だとか、「いえーい」とのりのりな周り。とりあえず私ものってみる。
 数分後に自分の受け身姿勢を後悔した。徹頭徹尾疾走感に溢れたロックなポップソング達が自分を通り過ぎていく。原点回帰を通り過ぎた、突き抜けたテンションと力溢れるサウンド、彼らの本来の持ち味である「捻くれロック・ポップミュージック」に収まらない自由な曲作り。アルバム一枚として考えれば、今までの彼らと違いノーコンセプトに感じられたが、中身は彼らの元々の持ち味と過去数々の試行錯誤や経験を融合させた作品ばかりだった。壊して更新してきたと思われた彼らの色が目の前にある。観客達の纏う時代たちが混ざり合って、楽曲に反映されている。彼らの大きさを知った。
「新曲ばっかりなのにノリノリだな、おい! あーりがとっ!」
再び入る桃野陽介のMC。時計を見ると開始から50分が経過していた。…くたくただ。疲労感の中に込み上げてくる満足感。汗をだらだらと流しながら、満足そうに口元をにやけさせる姿が中学の時に初めて見た彼らと重なる。彼らも年をとり、私も年をとった。その歴史の長さは、目の前に広がるTシャツたちが証明している。


 この5年間、彼らにとって無駄になったことは、きっと一つもないのだろう。そんな着々と前を向いて歩き続けた彼らを見ていると、普段、自分の行動に自信が持てない自分でも少しだけ勇気がわいてきた。試行錯誤を繰り返してきた彼ら。拙いながらも自分のやりたいことをいくつかやってきた自分。中学の時に朗読を。高校の時に美術を。自分の人生はバラバラなことばかりをしてきたなと思っていたが気づいたら、その二つの延長線上であるお芝居をしていた。今の突き抜けて、素敵な彼らを見ながら、自分の人生を思い返してみると、「ひょっとすると過去に無駄なことなんて一つもなかったんじゃないか」と思えてきた。人生の歩みは実は、意識していなくても積み重ねで、歩みはどこかで繋がっているのかもしれない。そう思うとなんだか楽しくなってきた。そうだ、彼らに出会ったことを幸せに思おう。今日も彼らの「音」を聴きながら、ぼんやりと幸せ気分にひたってみる。素敵な彼らのMAGICにかけられながら。

 

行ったライブ→ブライト秋のPangeaまつり(2013年10月30日大阪・心斎橋Pangea/MONOBRIGHT)

2013年12月8日初稿

2020年2月note加筆修正/投稿

2020年9月修正投稿


【あとがき】
10代の頃の文章なので、前半のひねくれがエグい。修正するのが恥ずかしかった。

この日は清水音泉さんが前説してて、「場内満員なのでくれぐれもお気をつけください。押しちゃうと最前の方が海老ぞりになりかねませんので。」とアナウンスされていて、真ん中あたりで超緊張しながら見た。周辺客のモッシュで頭叩かれたのは良き思い出(にしたい)

この4年後に彼らは活動休止してしまうのだが、その時の話はまたいずれ。

初めてライブをみた夜の話

「世界も涙も強さも忘れて素敵なあなたに歌われたいよ」(monobrightアナタMAGICより)

 

 

 今まで見たことのなかった憧れの世界が目の前に広がっている。私は全身の肌がぞわぞわと、小刻みに震え上がるのを感じながら、若干外れたハンドクラップを鳴らした。
 

 4月7日午後6時。私はまるで一人、海外に取り残されたような気分を味わっていた。実際に海外にいたわけではない。家から電車で15分ほどの所にあるライブハウス前にいた。以前は遠目で眺めては、華やかなイメージを思い描いていたその場所は、迷宮奥地のように見えた。それほど、ライブイベントという未知のものに緊張していた。


 「私は人が苦手だ」
そう思ったのは中学二年生で転校したことがきっかけだった。別にイジメを受けたとか、そういうことがあったわけではない。むしろ仲の良い友人もいた。ただ学校が自分には合わなかった。下世話な話を大声で得意げに語るクラスメイト。仲の良い友人に見えていた子達が相手が見えなくなると悪口を言い合う。毎日、毎日、そんな生活を繰り返していくことにだんだん居心地の悪さを感じていった。


「この人なら大丈夫だろう」
「この人は、〇〇していたから苦手」


そうして私は人間不審になった。高校で環境が変化し、その中である程度克服したつもりだが、未だに拭きれていない部分もあると思う。やっぱり人が怖いのだ。それでも勇気を振り絞って、このライブに行きたい‼︎そう思うには理由があった。今回訪れたイベントは、「キャピタルレディオ」と言って、毎年2日間にわたって、何組かのバンドが集い、京都でライブを行うものだ。今回、私の好きなバンドが出演するということで、これを機会にライブデビューをすることにしたのだ。

 

 「MONOBRIGHT」それが彼らのバンド名だ。彼らの音楽に触れたのはとあるアニメのタイアップ曲、「アナタMAGIC」が始まりだった。アニメのタイアップらしい歌いやすい曲調と歌詞、そこに「まままう‼︎」という歌詞カードに表記されていない、よくわからない歌い方。CD音源を初めて聴いた時、変なバンドだなと思った。

 

 中学の時、たまたまミュージックステーションをつけたら、彼らの姿を見た。どちらかと言えば華やかな印象の出演人の中に不思議な一行。白ポロシャツにジーンズ、メガネとお揃いの優等生ビジュアルの彼らがおよそ堅気ではない雰囲気のタモリ氏と並んでいる。あの曲はこの人達が歌っていたのか。一気にテンションが上がった。
テレビ前を陣取る。四人のかなり緊張した面持ちをカメラが捉えたまま、ライブが始まった。曲が始まるとボーカルの桃野陽介は激しく首を振りながら、変顔をしている。(ように見えた)


かっこよく歌わなくても、むしろダサくても魅せられるんだ。すげー、このバンド‼︎
今まで贔屓歌手を今まで作らなかった、私のハートはそこで打ち抜かれた。
少しでも変なところを見せたら、なにかを言われる。まさに出る釘は打たれると学校で学習していた私には、彼らのダサくて、奇抜な姿はとてもかっこよくて輝いて見えたのをとてもよく覚えている。


「本日のお目当ては」
「も、モノブライトです、、、」


 整理番号順にスタッフの指示に従い入場する。切り取られたチケットの半券をしまいながら、オロオロと中に進むとギターの音が鼓膜を刺激した。あまりの迫力に鼓膜が痛んだ。ついに始まったのだ。前にも後ろにも人、人、人。前方の出演者を私はよく知らない。盛り上がる周りの人達。生きて帰れるだろうか。本当にラスボスに挑むような気分になってきた。
 しかし、それはただの杞憂だった。夜が更けていくと共に私は演奏にノれるようになっていた。よくわからないけど、胸がドキドキする。気づけば、トリの
「MONOBRAIGHT」の順番になっていた。それからは、目の前が減速したかのようにクリアに見えた。お馴染みのメロディーが演奏されていく。「アナタMAGIC」だ。なかなか無意識で使うことのなかった、表情筋が自然に綻んでいくのを感じた。
ノッケから汗だらだらで動き回るボーカル桃野とメンバー。
最初のMCで「トリが俺らとかおかしくない?!」と一笑いを取ると、次の曲を演奏し始める。オーディエンスも盛り上がっていて、桃野の満足そうな顔が束の間見えた。真顔、変顔、必死な顔しか見たことのない私はそのしたり顔に演者も人間なのだなと親近感が湧いた。お客さんもスタッフも関係なく楽しそう!私にはそう思えた。


 終演したのは、夜の10時前だった。未だ、夢物語にいるような気分になりながら家路を急ぐ。脳内でリフレインする歌声にまた一人、ニヤニヤしながら奇跡的に手に入れた出演者のサインボールを胸に抱いて、私のライブデビューは幕を閉じたのだった。
 よくよく考えてみると、私は今まで「最高!」とか、「かっこいい!」とか、人目を気にせず叫んだり、盛り上がりに釣られることがあまりなかった。それらを一夜でやってのけるだけの気持ちになったのだ。やっぱり、ライブって、歌手って、彼らってすごい。
 今までライブ自体の熱気や臨場感に憧れはあったが、怖さもあり触れることはできなかった。でも、今回触れてみて、今まで自分の遠くにあるものだとずっと思い込んでいた音楽ライブが随分近いものに感じられるようになった。いつまで彼らの音楽に触れていられるかはわからないけど、できる限り聴き続けたい。今日も私は彼らの音楽を聴いては、一日を頑張るのだ。
 

行ったライブ→CAPITAL RADIO ‘13(4月7日ひとりTOMOVSKY/Theピーズ/DOBERMAN/MONOBRIGHT)

 

【あとがき】初ライブとしては濃い出演者。トモフの次にピーズが出てきたとき「同じ人・・・?え、別人・・・?」と終演してからスマホを見るまで困惑した記憶がある。ちなみにもらったサインボールはピーズのあびさんとDOBERMANのGoeさん。翌年、学祭にバンド編成のトモフがきて最高にぶち上がり、すっかり大木兄弟にハマった。ピーズの武道館はチケット持ってたけど、関わってた芝居の本番でいけなくて。BD見て号泣した。

 

2013年4月20日初稿

2020年1月note加筆修正/投稿

2020年9月修正投稿

「    」

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――霧笛だ。霧笛が呼ぶんだ。
無機質な暗闇にゆらゆらと動く一筋の光と一人分の足音。一面闇だった舞台がぼんやりと照明の光のベールに包まれ、スーッと影が伸び、背中のシルエットが見えてきた。役者が一つ二つと紡ぐように言葉を出す。舞台に鳴り響く、  ボーっという肉声が自然と霧笛の音に変換される。
――そして、やっとやってくる、やってくる……。
あぁ、惹きこまれる。その時、そう思った。


 幼い時から、たぶん物語と名のつくものが好きだった。絵本も好きだったが、小さい時は字が読めず、大人に読んでもらうしかなかった。手っ取り早く、物語を見るにはテレビが一番だった。テレビなら自分のペースで見れるし、大人がいなくても大丈夫。必要があれば自分でビデオデッキも使えるし、と子供ながらに周りに気を使った結果、テレビっ子になった。物心ついたときには、時間があれば常に弟とブラウン管にはりつき、大きな箱の中に広がる世界を見ては、将来の夢を膨らますような子供だった。私たち姉弟が見る番組は特撮、ドラマ、アニメ、バラエティ、人形劇と様々だったが、特に仮面ライダーウルトラマンなどの特撮ものと時代劇を好んでみていた。侠客ものや股旅ものなど、人情を取り扱ったものに小さい時から泣かされていたおぼえがある。番組と番組の間は、弟とのチャンバラごっこタイム。
「炎魔一族め!吾輩が成敗してくれるわ!」
「おのれ!この桜の門が目に入らぬか!」
何もかもごちゃまぜの殺陣劇を広げながら、お互い疲れたらまた番組を見るなんてことが習慣だった。


 物語に触れる機会はほかにもあった。母方の祖母の家に週末泊まりに行くと、夜、祖母は自分のベッドで弟と私に語りをしてくれた。お題はだいたい森鴎外の「山椒大夫」などの昔話だった。背中をやさしくトントンと均等のリズムで叩いてくれる祖母の温かい手と、少しだけ濁りを含んだ落ち着いた声色の語りは、眠るのにとても心地よいものだった。また、祖母の家は、代々演劇家系で、家族の公演する人形浄瑠璃などを見にたまに大阪の国立文楽劇場に連れて行ってくれたりもした。特別な習い事をしなくても自分の周りは「お芝居」や「語り」など、「物語」で溢れていた。
 そんな環境があってか、小学校高学年にもなると、私は音読や読み聞かせなどの文章を声に出して読むことが好きになっていた。小学校二年生から、大好きな母方の祖父母と暮らすようになっていた。学校から帰ったら、祖母のもとで音読をする。文章の裏側を想像しながら、気持ちをこめて音に出す。この宿題には評価カードというものがあったのだが、祖母は上手だねといつも花丸をくれた。


 「読むの上手いなー。びっくりしたわ。」
中学二年生の春。私の中で大事件がおきた。谷川俊太郎の「春に」を授業中音読した時のことだった。国語の先生に自分の読みをほめられた。純粋に読むことが好きなのは、中学になっても変わらなかったが、家の外で読むことはほとんどなかった。中学二年から国語の担当になった先生は、何かと生徒に音読をさせる機会のある先生で、読んだのは今回が初めてだった。読むスタイルは、昔と同じで言葉に気をつけながら、想像しながら読む。棒読みにならないように抑揚をつけてみたりはしていたが、それを授業中に気づいてもらえるとは思わなかった。私をほめる先生は、冗談とかそういうことを言う雰囲気ではなく真剣だった。


「前から上手いってほめられてたんと違う?」
「い、いや、言われたのは、初めてです」
「これからはあなたに読んでもらおうかな」
…それはさすがに冗談でしょう、先生。
 「よし、いってみよかー」


 それからの二年間、先生の宣言通り、ほぼ毎回音読の時間当てられた。だいたい先生と目が合うと当てられる。三年生の前半になると、友人や他の先生もほめてくれるようになり、家庭科の時間に読み聞かせを授業の一環でしたり、読む機会が増えた。
しかし、授業だけでは自分は満足できなくなりつつあった。部活には演劇部も放送部もなかったので、技術を磨いたり、自分を試せる場がほとんどない。そんな時、朗読コンクールに参加してみないかという話が出た。希望者を募り、オーディションで代表を決めることになり、一番目に名前を呼んでもらえた。一緒に選ばれた友人と二人で半年間、朗読経験者の先生に技術を教えてもらうことになった。コンクール用にと先生が持ってきたのは森鴎外の「高瀬舟」だった。京都の罪人を遠島に送るため、高瀬川を下る舟での弟を殺した喜助と護送役の同心である羽田との会話の一部を読むことになった。


「一体お前はどう思っているのだい」


今まで送ってきた罪人と違う穏やかな表情を浮かべた喜助に羽田が胸の内について問いかける場面。朗読コンクールの原稿上では、序盤の台詞なのだが、先生曰く読む癖の強い私は最初から徹底的に読み方の指導をされた。先生の読み方を聴いては、反復して自分も読むの繰り返し。最初は、自分の読みが悪いのだと熱心だったのだが、だんだん、オーディションで先生は自分の何を見て選んでくれたのだろうと疑問を持つようになった。自分の中の読むことへの純情に先生の指示する順序が追い打ちをかけてくる。日に日に先生の型に嵌められていくような気がして、フラストレーションがたまるようになった。でも、先生の言うとおりに抑揚も間も調整すれば、ほめてもらえるし、もうこのまま朗読コンクールを終えてしまおうかと思いかけたある日、先生の一言で自分の中の何かが爆発した。


「もう淡々とでいいから、機械みたいに言うとおりに読め!」


ふざけんな、と言いかけたけれど私は音を出すことなく閉口した。その日は、コンクールの前日だった
 本番は、先生の言う通りに読んだ。楽しさなんてこれっぽっちもない。陰鬱と感じられた本番に思ったことは無だった。ふと自分の出番が終わり、他校の子たちの発表をぼんやりと見る。落ち着いた声色に抑揚をつけ、体を揺らしたりほほ笑んだりしながら、楽しそうに読む子たちがいた。先生の言っていた、通りに読んでいた自分とは対照的だと思った。ふと、その子たちを見ていると小学校の時、祖母の前で楽しく音読していた自分を思い出した。原稿が自分に合わないと進言していたら、何か変わっていただろうかとふと考えた。自分がやりたかったのはあの子たち見たいな発表だったんです、先生。心の余裕を無くした自分の発表が恥ずかしくなって、私は控室の机に突っ伏した。
結果は、その子達が入賞。私も友人も結果は実らなかった。
 羽田の台詞が浮かんだ。


 「一体お前はどう思っているのだい」


自分はあの場で一つも楽しみを持たず、最低な読みをしてしまったと思う。それからは、残りの中学校生活の間、読むことが嫌になり、進学先の高校では、美術を主にやっていたので、完全に読むことから遠ざかってしまった。
 あれから、早くも四年がたち、私は大学二年生になろうとしていた。高校の時に知りあった四回生の先輩、4さんがきっかけになり、大学では、演劇関連の企画に参加することが多くなっていた。最初のお芝居参加になった劇団幻日第三回公演が七月に終わってからというもの、十二月の中旬まで企画参加とお手伝いで必ずどこかにいた。特に九月下旬から十二月中旬までは企画のかけもち期間で最高六つのやりたいこと(お芝居以外もあるが)をしていた。自分で詰めたスケジュールに首を絞められる自分を思い出すと、馬鹿だったかなと考えることもあるが、裏方・役者を何度かこなすうちに演出面・企画面・技術面など広いことを知る機会になったので、いつか自分でお芝居や企画をしたいなと考えるようになった。
そんなかけもち期間のラストに大学の演劇部の有志メンバーで作られた、「すごい劇団」第十回公演の音響オペレーションをしないかとよくお世話になっていた四回生の先輩に声をかけてもらった。舞台は黎明館二〇一。広い教室にイントレと呼ばれる工事現場で使用される金属の足場を複数建てたり、教室備品のイスを螺旋状に組み立て、階段に見立てたりなど、舞台セットは特殊なものだった。私は舞台の裏側にあたる講師席の機材など使い、音響オペレーションをすることになった。
作品は、一九九〇年、夢の遊眠社が上演した野田秀樹脚本戯曲「半神」に新たに演出をつけたものだった。どちらかしか生き残ることのできない、シャムの双子と彼女たちに分け隔てなく接する家庭教師の「先生」が主な登場人物。先生役は4さんだった。
物語の終盤、めまぐるしい場面展開を思わせる音響と光の玉を連射するように光りだす照明。その後、舞台が待っていたのは暗闇だった。少しの「静」のあと、細い、でもはっきりした懐中電灯とともに階段をゆっくりとゆっくりと降りてくる先生。彼は、ブラッドベリの短篇の名作「霧笛」の一部を朗読する。
――霧笛だ、霧笛が呼ぶんだ。君は遠くから来たんだ。遠く深いところから。
確かに自分の渡された通りの台本の台詞を一字一句正確に声に出しているはずなのに実際に「先生」が言葉を選らんでいるように感じる。
――霧笛を鳴らすんだ。響いては消え、響いては消える。
言葉を紡ぐ、編むという言葉がぴったりな優しい声色。優しくはあるけれど、消えそうな、砂糖菓子のようにとけそうな言葉ではなく、子供に言い聞かせるようなそんな色を含んでいるように感じた。


――いく日もかかって。そして、やっとやって来る。やって来る。


トントントンと幼いころ、祖母に読み聞かせてもらったような、落ち着いていて、自分の内に語りかけているようなそんな音。手招いているようなそんな感覚がした。あぁ、惹きこまれる。その時、そう思った。時間的には、そんなに長くなかったけれど、気づいたら、もう客だしの時間だった。脚本・演出は怒涛という言葉が似合うような動きのあるものでインパクトも強かったけれど、自分の頭に残っていたのは、4さんの、朗読の場面だった。
 何で、今もその言葉が忘れられないのだろう。お芝居ラッシュを終え、講義を受けて、友達と話して、時間になれば帰る普通の生活に戻ったうえでふと考える。あの形容しがたい、感覚がなんで忘れられないのか。自分の人生を振り返って思うのは、中学の時に味わった未練が心の中に残っているからではないかと思った。あの時の自分は漠然とした物しか持っていなくて、上手いよという人の言葉だけが頼りだった。だからこそ先生の指導がすべてだと考えていたし、疑問を持って批判するにしても、改善案が、他に道がなかったから、本番も先生のスタイルのまま望んだ。人の読みを見る場がない環境だったから、自分の中で読むことを上手く形にできていなかったから。4さんの、先生の言葉は、声は、そんな私が見つけた、ぼんやりとはしているけれど、でも初めてできた理想図の一部なのだと思う。目線も行動範囲も広がり、成長した今、真っ白な霧の中に浮かんだ自分の道に少しでも線がついて嬉しい。それが、薄い影でも自分の思う目印ができて、それを辿っていけるなら、中学の自分はほっとすると思うのだ。
大学二年生になって今までのようにお芝居に参加するかは、まだ決めていない。自分がお芝居を始めたのは、4さんとの出会いをきっかけに話が繋がってできたレールだったし、あんなにバンバンできるかと言えば、たぶん無理かな、なんて思う。でも朗読やお芝居関連のイベントを学内のギャラリーフロールのような未開拓の場所でしてみたいなと考えている。残りの三年間の中で、どこまで形にできるかはわからないけれど、でも残りの時間でいろんなものを見て、少しずつでも自分の理想をイメージとして固められたら、きっと嬉しいと思う。もし、何かに躓いたら、あの時の一文の台詞を脳内に浮かべよう。
 ――いく日もかかって。そして、やっとやって来る。やって来る。

 

2014年2月末日初稿

2020年2月note加筆修正/投稿

2020年9月修正投稿


【あとがき】
これは大学一年生の時の文章。大学卒業するまで芝居をしてたし、卒業したあとも少しだけ関わっていた。物作りは今でも好きだ。でも、芝居やってた頃に戻りたいかと言われると首を傾げてしまう。今でも手伝いをするのは好きだし、キライになったわけじゃない、と思う。当時は至らない点が多すぎてたくさん迷惑かけてしまった。お世話になった人たちには一生感謝する。あと、今でもこの4さんという先輩が大好きです。

気移り頑固野郎

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お初にお目にかかります。

このブログは元々今年の2月からnoteに執筆していたものをいろいろあって、はてなブログに移動させたものだ。今度こそ何事もなく定着していけると嬉しい。


 社会で淡々と生きることに若干違和感がでてきた今日。何かを成したいわけではないが、なにもしないのは嫌で昨年は日記をつけていたが、6月の初旬で筆が止まってしまった。
元々、長文を書ける場所を探していたので、文字置き場としてこの場を活用したいと思う。
一般人のブログの書き出だしはどうあるべきなのか。
小一時間悩んだが、思いつかなかったので、早くも挫折しそうだ。

 

私のことを書き出そう。

 

あさのぐる(20↑)

 

●【ぐる】とは。今はなきソーシャルネットサービスの略称からきた名であるが、七年ほど使っている私の芸名兼ハンドルネームである。なぜコレかはまたいつか。
●物作りとパンダが好き。天敵はラッピングと折り紙。

●2013年〜17年まで京都の小劇場界隈に出没していた。
●部門は音響、小道具、制作など。必要に迫られて脚本も何度か書いた。
●17年には所属団体内(現在退部済み)で演劇についてのブログを書いていた。

 

【部署紹介】音響(ぐるたす) - 何色演劇部 http://blog.livedoor.jp

 

当時は頭フル回転で殺気立ちながらこのブログを書いていた記憶がある。

演劇をやめてから何かのために文章を書くことが一切無くなり、言語能力が右肩下がりな気がしてならない。ここでは、リハビリを兼ねて音楽や日常の雑多な文字投稿をしていきたい。

最近、学生時代に書いていたエッセイを見つけたので、バックアップがてら修正して掲載しようと思う。


枚挙にいとまがない。ブログタイトルの通り、脳内を挙げたらキリがなく、散らかること必至だろう。
そもそもアクセスしてもらえるのかも不明だが、たまたま、このページを見つけてしまった方々、なぜか流れ着いてしまった現実の友人知人たち等々。
いつもありがとうございます。

みんなまとめてよろしく頼む。

 

かしこ

 

2020年2月note 初稿投稿

2020年9月修正 投稿